[おくやみ]上田正昭 氏(古代史学者、京都大学 名誉教授)88歳 2016年3月13日逝去

[お偲び] 上田正昭 氏(古代史学者、京都大学 名誉教授)

上田正昭(うえだ・まさあき)氏
生誕: 1927年4月29日
命日: 2016年3月13日 7時54分
(京都府亀岡市の自宅で)
年齢: 88歳
出身: 兵庫県
肩書: 古代史学者、京都大学 名誉教授
備考:葬儀は近親者で施行。
中学時代に京都府亀岡市の小幡神社の社家、上田家に養子入り。国学院大専門部で国文学者の折口信夫らに学んだ後、1947年京大文学部史学科入学。卒業後は高校教諭や立命館大講師などを経て63年京大助教授、71年に京大教養部教授に就いた。定年退官した91年から6年間、大阪女子大(現・大阪府立大)学長を務めたほか、96年からアジア史学会会長、99〜2015年世界人権問題研究センター理事長、03年から京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長、姫路文学館長、高麗美術館長などを歴任した。京大在学中から京都府亀岡市の古社・小幡神社の宮司でもある。初めての単行本である「神話の世界」(56年)や毎日出版文化賞を受賞した「日本神話」(70年)などで神話を手がかりにしたほか、中国の土着宗教である道教や仏教、日本の神道といった宗教、さらに神楽や舞楽などの古代芸能などを東アジアの中で比較しながら、幅広い視点で古代日本の成立について論じた。「大和朝廷」(67年)では、日本の古代王権は単系で発展したのではなく、奈良県の三輪地域で4世紀前半に三輪王権が成立し、5世紀の河内王朝へと王権が受け継がれたとする河内王朝論を説いた。古代の日本で朝鮮半島、中国大陸から渡来した人々が果たした役割を検証した「帰化人」(65年)ででは渡来人が大きな役割を果たしたと訴えるとともに「戸籍がない段階に帰化人は存在しない」と指摘、ほとんどの教科書が「渡来人」と記述するようになった。中央の大和からみた中央史観ではなく、地域からの視点で歴史と文化を考えることを説き、江戸時代の朝鮮通信使や部落史の研究でも知られた。著書は他に「日本古代国家論究」「日本文化の基層研究」「私の日本古代史」などを含め、著作集(全8巻)など81冊、編著・共著は541冊。鎮守の森をテーマに自然との共生を目指して02年に発足したNPO法人社叢学会の理事長(14年名誉顧問)、07年にオープンした島根県立古代出雲歴史博物館の名誉館長も務めた。歌人でもあり、2001年の宮中歌会始で召人を務めた。歌集に「共生」「鎮魂」「史脈」がある。人権問題にも深く関わってきた。97年に大阪文化賞、98年に福岡アジア文化賞・学術研究賞、00年に南方熊楠賞を受賞。03年勲二等瑞宝章を受章。
偲ぶ会:
2016年5月31日
ガレリアかめおか
実行委員長:井上満郎 さん
(京都産業大学 名誉教授)
参照: ウィキペディア
・ 上田正昭氏が死去 88歳、古代史研究の第一人者
・ 古代史学者の上田正昭さん死去 京大名誉教授
・ 上田正昭さん88歳=京都大名誉教授、歴史学者
・ 故上田正昭氏をしのぶ会 京都大名誉教授
・ 京大名誉教授の故上田正昭さんを偲ぶ会、5月31日に

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