[おくやみ]下村脩 氏(生物学者、)90歳 2018年10月19日逝去

[お偲び] 下村脩 氏(生物学者、)

下村脩(しもむら・おさむ)氏
命日: 2018年10月19日 6時15分
(長崎県長崎市内で)
年齢: 90歳
出身: 京都府福知山市
肩書: 生物学者、
備考:葬儀は近親者で施行。
1951年、長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)卒業。名古屋大理学部の故平田義正名誉教授の研究室に入り、生物発光の研究をはじめた。57年にウミホタルの発光物質の精製・結晶化に世界で初めて成功。業績が評価され、フルブライト奨学生として渡米、60年に米プリンストン大に留学。その後、名大助教授、米プリンストン大上席研究員やボストン大名誉教授に。82年にウッズホール海洋生物学研究所上席研究員。2001年に退職し、米国で研究活動を続けた。名大時代から光を発する生物の研究に取り組み、61年夏、米ワシントン州フライデーハーバーでクラゲの一種オワンクラゲ1万匹を採取、光る仕組みを解き明かした。発光物質を精製し、副産物として緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発見した。後にノーベル化学賞を共同受賞する米国人研究者らがGFPの遺伝子を細胞内で動く分子にくっつけて追跡する「目印」としての利用法を開発し、GFPは病気や生命の仕組みを解き明かす研究に欠かせない道具になった。GFPを目印に、生きた細胞のたんぱく質を観察できるようになり、がん組織の検出や脳神経形成の解明などに応用が広がった。この業績で06年度の朝日賞を受賞。80歳でノーベル賞を受賞した。ノーベル賞受賞後には、長崎大名誉博士にもなった。
戦時中、長崎県諫早市に疎開。16歳だった45年8月、原爆投下時は海軍の軍需工場に動員されていて、原爆の閃光と爆風を体験した。放射性物質などを含む「黒い雨」も浴びた。ノーベル賞の受賞記念講演で原爆体験に触れたほか、世界の科学者が核兵器廃絶などを目指し話し合うパグウォッシュ会議が2015年に長崎市で開かれた際には、米国から来日して参加した。折に触れ、原爆投下を厳しく批判するなど、核兵器廃絶を強く訴えた。
お別れの会:
2018年12月2日
長崎大学 中部講堂
主催:長崎県、佐世保市、長崎大学
参照:
・ 下村脩さん死去 2008年にノーベル化学賞
・ 下村脩さん死去=クラゲ蛍光たんぱく発見-08年ノーベル賞
・ 故下村脩氏のお別れの会 ノーベル化学賞受賞者
・ 故下村脩氏のお別れの会=ノーベル化学賞受賞者

追悼の言葉を残す

供花(カラー)