[おくやみ]中西達治 氏(金城学院大学 名誉教授)83歳 2022年11月30日逝去

[お偲び] 中西達治 氏(金城学院大学 名誉教授)

中西達治(なかにし・たつはる)氏
命日: 2022年11月30日
年齢: 83歳
出身: 岐阜県海津市
肩書: 金城学院大学 名誉教授
備考:葬儀は近親者で施行。
参照:
・ 中西達治氏死去 金城学院大名誉教授

3つの追悼の言葉があります

  1. 中西先生
    大変ご無沙汰しております。先生は今はどこかからにこにこと見守ってくださっていることでしょう。
    金城大学国文科で大変お世話になりました。先生覚えていますか?私は、卒論が提出日までに出来上がらず、先生の部屋で、文句を言いながら書き上げました。結婚式にはそのエピソードを、私と先生の楽しかった思い出として、披露してくださいました。卒業後も何度か研究室に遊びに行きました。私の、奏者ならではの愚痴を、いつも面白い!本にしなさい!と言って笑って聞いてくださいました。
    年賀じまいをするまで、中西先生に近況報告をしてきました。年賀状を書くたびに、一度でも先生に会いに行けばよかったと後悔しています。自慢の息子二人のお話も年賀状ではなく直接聞いてもらいたかったです。きっと、満面の笑顔で聞いてくれたでしょう。先生、本当に本当にありがとうございました。お疲れ様でした。笑顔の先生しか思い出せません。そして、安らかに。私たちをどうか見守っていてください。先生に出会えて素敵な大学生を送ることができました。ありがとうございます。


    匿名
    供花(カラー)
  2. 中西教授様
    『会津史談』で訃報を知り、驚いております。秋月悌次郎研究では、屈指のお方でありました。昨年いただきました金城学院大学論集の抜冊を読み返させていただいております。私も先生を見習い、秋月悌次郎を調べていこうとしていた矢先でした。色々と有難うございました。


    伊藤哲也
    供花(カラー)
  3. 中西先生
    コロナなんか気にせず、会いに行ったら良かった。
    私は先生にこんなに大好きだったことを伝えたことがあったでしょうか。
    先生とのメールを読み返したら何度も何度も「また会いましょう」「お出かけください」「遊びに来てください」と文末に書いて下さっていて、昨年は「よろしく」と念を押して下さっているメールまでありました。ぼんやり屋の私は自分のことばかりで「引っ越しが落ち着いたら」とか「お土産にしたいお菓子ととびきり面白い話ができたら」とか「近くまで来たけど急だとご迷惑よね…」とか、先生はいつも笑ってそこにいて下さったので、こんな日がこんなに早くやってくるとは夢にも思わなかったのです。先生、ごめんなさい。
    今年の残暑見舞いのお返事として奥様から訃報が届けられました。
    病院通いや引越しを経て年始の挨拶を怠った事を後悔しています。
    落ち着いて、引越しの報告を兼ね、残暑見舞いを出しました。
    10年ほど前でしょうか?引越しをハガキの余白に(住所変わりました!)と書いたのを先生は気付かず、お祝いを旧居に送って下さったアクシデントがありました。その際に「引越しは引越しの連絡としてくれなきゃ!小さく書いたって気付かないんだから!」と先生はやっぱり笑ってくださいました。
    私の作品をいつも心待ちにして下さったこと。詩人の南さんと誰にでも紹介して下さったこと。婚姻届の証人欄を書いて下さったこと。先生と奥様にならってエイプリルフールにします!!と喜ぶ私にニコニコして下さったこと。息子の命名を本当はしたいと思って下さってたこと。でも、私がつけた名前を「難しい名前つけたなぁ!あなたらしいね」と笑って下さったこと。
    家庭をまわしながら働くことの大変さも、息子が学校に行かないことも、いつも先生がおおらかに「お母さんたちは大変だけど先輩たちもそうだったんだ。あなたにもできます。坊ちゃんを連れてまた遊びに来てください」とか「子どもさんたちも学校が時代の中で果たす役割が変わってきていて大変なんでしょう。ゆったりとそばにいて上げてください。」と受け止めてくださいました。
    私は臨床心理専攻でしたが、先生には詩が活字になる際に「助けてください!!右も左も分からないんですー!!」とメールをしたご縁で20年を超えてのお付き合いを賜りました。
    先生がいつもわかってくれたので、私は気ままに詩や絵を書き散らしているばかりで、先生に胸を張って報告できる結果を出さなかったことも悔やまれます。
    最後のメールは9月末でした。
    「今あなたが取り組んでいるのは日本語の詩の真髄です。根幹に関わることです。韻に目覚めたとは驚きました。じっくり向き合ってください」と励まして下さっていました。もう、文末に会いましょうとは書いてなかった。
    先生、そちらでしばらくのんびりされてください。その間に私はたくさんの作品と向き合ってお土産をたくさん用意しておきます。
    小さな文学賞に昨日、作品を出しました。私の人生の半分は先生がいてくれた20年でした。先生の与えて下さった価値観や知識を持って、先生ならこんな時なんて言ってくれるかなぁと思いながら、残りの創作期間を過ごすことと思います。
    先生、本当にありがとうございました。


    岡田佳奈(旧姓:南)
    供花(カラー)

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