[おくやみ]今井琉璃男 氏(愛媛新聞社 元社長)94歳 2022年9月29日逝去

[お偲び] 今井琉璃男 氏(愛媛新聞社 元社長)

今井琉璃男(いまい・るりお)氏
命日: 2022年9月29日 22時29分
(愛媛県松山市の自宅で)
年齢: 94歳
出身: 愛媛県松山市
肩書: 愛媛新聞社 元社長
備考:葬儀は近親者で施行。
松山商科大(現松山大)を卒業後、1950年愛媛新聞社入社。71年に社会部長、74年に東京支社長、77年に広告局長、87年に代表取締役専務編集局長などを経て90年に代表取締役社長、2000年に代表取締役会長。08年から相談役。愛媛電算や愛媛CATV、四国中央テレビの社長を務めたほか、松山市文化協会長や松山大温山会長なども歴任した。愛媛が戦後復興の途上にあった久松県政時代の1952年、県政や県経済担当の記者となったのを皮切りに、政治や経済、社会など幅広い分野を長年取材。新聞報道の充実に努めた。80年代には「日刊新愛媛」(廃刊)との激しい販売競争に直面する中、新聞販売の正常化や愛媛新聞社の経営基盤確立に尽力した。社長就任後は旧愛媛新聞印刷センター(同市問屋町)を始動させるとともに、社是・編集信条を時代に即した内容に改めた。愛媛CATVの開局や愛媛新聞社のホームページ(現愛媛新聞ONLINE)開設といった「マルチメディア時代」を見据えたメディアミックスも推進した。07年には本県報道界の発展に貢献し、教育・文化・スポーツ・国際交流振興にも尽くしたとして県功労賞を受賞した。09年に旭日中綬章受章。主な著書に、記者として見聞きした県政界の内幕などを記し県内戦後史の貴重な記録となっている「愛媛県政二十年」をはじめ、「来島どっく物語」「温故知新」。
お別れの会:
2022年12月22日
愛媛県県民文化会館 真珠の間
参照:
・ 今井琉璃男氏が死去 元愛媛新聞社社長
・ 今井琉璃男氏死去(愛媛新聞社元社長)
・ 今井琉璃男=元愛媛新聞社社長が死去
・ 故今井琉璃男氏お別れの会 元愛媛新聞社社長

追悼の言葉があります

  1. お悔やみ申し上げます。私は故人とは全く面識のない者です。小学2年生の母です。この度、故人が推薦された【にほんのいちねん】という本を手に致しました。追われる毎日を過ごしてる中、この本に出会い、娘とともに日本の四季や日々の出来事の素晴らしさを、立ち止まって感じることができました。ほんわかした気持ちになり、ただお礼を伝えたくここに残させて頂きます。インターネットで検索し、亡くなられたことを目にし直接伝えることができず残念な思いです。ありがとうございました。


    小学2年生の母
    供花(カラー)

小学2年生の母 へ返信する コメントをキャンセル

供花(カラー)