原尻正信さんは

時代の波に翻弄されながらも

皆様とともに人生を歩んできました

幾多の苦難を乗り越えて

生き抜いてきた81年

[おくやみ]原尻正信 氏(大分合同新聞「灯」元同人)81歳 2023年2月17日逝去

[お偲び] 原尻正信 氏(大分合同新聞「灯」元同人)

原尻正信(はらじり・まさのぶ)さん
命日: 2023年2月17日
(大分県大分市内の病院で)
年齢: 81歳
肩書: 大分合同新聞「灯」元同人
備考:大分舞鶴高、楊志館高、明豊高の校長などを務めた。
お別れの会:
2023年7月9日
レンブラントホテル大分
参照:
・ 原尻正信氏が死去

原尻正信さんの尊さは

時を越えて永遠に生き続けます

決して忘れられることなく

2つの追悼の言葉があります

  1. 先生の訃報を聞き残念でなりません。事あるごとにお電話をいただき、気に留めてくださってることが大変うれしく思いました。先生が逝かれる一月前、お車を修理に出すので付き合ってくれとのこと、そのあと、喫茶店でコーヒーを飲んで語りましたね。今でも夜、携帯を見つめていたりします。いろんな思い出が蘇りますが心の中に何か虚無といえるような感覚を持ち続けている自分を常に感じています。
    合掌


    奥井 伸英
    供花(カラー)
  2. 「少し気が早い気もしますが、それでは原尻先生との思い出を振り返ってみたいと思います。』

                                         安東 孝浩

    私が原尻先生とお会いしたのは、高校生時代。

    どうしようなく手に負えない当時の私を会うたびに背中をぶっ叩きながら「タカヒロ、タカヒロ」とお声をかけてくれました。
    進学校の空気にどうも馴染めない私にそんな風に優しく接してくれました。

    英語の授業の時のあの癖のある字もすごく印象に残っています。
    じっくりと何度も何度も基礎を教えるように、黒板に丁寧に字を書いていた姿は忘れられません。

    そんな英語力を身につけ、大学生時代は海外旅行をよくしました。
    旅行者なら何とか通じる英語は学べていたと思います。
    あとからですが、喋る度胸も必要だと思いました。

    そんな数少ない高校時代の恩師だったからこそ、無理を言って結婚式の仲人もお願いしました。
    同級生の参列者も久ぶりの原尻節に喜んでいましたよ。
    その節は大変お世話になりました。

    その後も甘えてばかりで大変申し訳ありません。

    これまでの輝かしい経歴も、その穏やかにじっと見つめる目と、ブレない気持ちや優しさ故のことと思います。

    全く持って相変わらずの私ですが、時間が経っても変わらないおつきあいをしていただきありがとうございます。

    お付き合いを大事にする優しさが故にご苦労されたこともたくさんあったのではないでしょうか?

    しかしそんなことも含めて全て原尻先生の人生の財産であれば、それは私たちの喜びでもあります。

    いきなりこんな弱気な手紙が送られてきて、少々先生も弱気になっているのかなと思いました。

    何とか高校卒業できたのも先生のおかげです。

    ありがとうございました。

    まぁご近所なんで、何かあればすぐに飛んでいきます。

    他の教え子さんほどお力になれませんが、あの時癒された恩返しくらいはできると思います。

    弔辞なんてものはしたこともありませんので緊張してしまいますが、母が祖母の葬式の時に「よく頑張ったね」と泣きながら言っていた言葉を送らせていただきます。

    「人が生きる」ってことはものすごく壮絶なことで、そして偉大な事業なんだと感じた言葉です。

    だから最後まで頑張り続けて全うして欲しいと思います。

    先生の存在そのものがものを言い続けるまで長生きしてくださいよ。

    少なくとも私が生きている限りはずっと「原尻正信先生」ですよ。

    色々とお世話になりました。

    お疲れ様です。

    ありがとうございました。


    匿名
    供花(カラー)

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供花(カラー)