[おくやみ]吉田喜重 氏(映画監督)89歳 2022年12月8日逝去

[お偲び] 吉田喜重 氏(映画監督)

吉田喜重(よしだ・よししげ)氏
命日: 2022年12月8日 8時33分
(東京都渋谷区の病院で)
年齢: 89歳
出身: 福井県福井市
肩書: 映画監督
備考:葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
1955年、東京大仏文学科卒業後、松竹大船撮影所に助監督として入社。木下恵介監督らに師事し、60年に自らの脚本で無軌道な若者像を描いた映画「ろくでなし」で監督デビュー。同じ年、作家性の強い先鋭的な作品で大島渚監督、篠田正浩監督らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれて注目を集めた。62年の「秋津温泉」は、青年と温泉宿の娘との愛を追うことで、戦後の日本人の歩みを描いた。主演した岡田さんと64年に結婚。ほかに、「日本脱出」などを手がけた。松竹を退社後、66年に独立プロダクション現代映画社を設立、70年の「エロス+虐殺」は、アナーキスト大杉栄の半生と70年当時の風俗が時空を超えて重なり合う前衛的な内容で、代表作のひとつとなった。二・二六事件と北一輝を題材に、社会や政治、性の問題に取り組んだ「戒厳令」、老人問題を取り上げた「人間の約束」を経て、英作家エミリー・ブロンテの原作を中世日本に移した「嵐が丘」を88年に監督。しばらくブランクがあったが、02年に岡田さんを主演に広島の原爆問題を扱った「鏡の女たち」を発表し、これが最後の作品となった。また、テレビドキュメンタリーを数多く制作し、テレビ東京の「美の美」シリーズを手掛けた。「人間の約束」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。「鏡の女たち」が2002年のカンヌ国際映画祭で特別招待作品に選ばれた。映画の他に、90年にはフランス・リヨンに招かれてオペラ「蝶々夫人」を演出。神話的解釈や能の要素を取り入れた舞台は92、95年にも再演された。また、文化交流に貢献したとして、2003年フランス政府から芸術文芸勲章オフィシエ章を受けた。各国の映画祭で特集上映が行われるなど、海外で高く評価された。98年には、かつて厳しく批判した小津安二郎作品を論じた著書「小津安二郎の反映画」を発表した。
参照:
・ 吉田喜重さんが死去 映画監督、「秋津温泉」
・ 吉田喜重さん死去 映画監督「秋津温泉」「エロス+虐殺」
・ 吉田喜重さん死去 「秋津温泉」監督、89歳

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