[おくやみ]土山秀夫 氏(長崎大学 元学長)92歳 2017年9月2日逝去

[お偲び] 土山秀夫 氏(長崎大学 元学長)

土山秀夫(つちやま・ひでお)氏
命日: 2017年9月2日 5時16分
(長崎県長崎市の病院で)
年齢: 92歳
出身: 長崎県長崎市
肩書: 長崎大学 元学長
備考:葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
長崎市に原爆が投下された翌日の1945年8月10日に市内に入り、負傷者の救護に奔走した。当時は長崎医科大(現長崎大医学部)の学生で、10日間にわたる救護活動の傍ら、爆心地から約250メートルに住んでいた兄の遺体を捜し出し、その場で火葬した。戦後、長崎大医学部長などを経て、88~92年に同大学長。退任後は被爆者、医者として、核兵器廃絶運動のリーダー的存在になった。「感性と理性の両方に訴えかける必要がある」と、核兵器禁止条約や北東アジアの非核地帯の創設などを提唱し続けた。90年から長崎原爆の日に市長が読み上げる「平和宣言」の起草委員となった。2000年から10年には国内外の非政府組織(NGO)による国際会議「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を実行委員長として4度開催した。「世界平和アピール七人委員会」委員なども歴任。年に長崎市から名誉市民の称号を授与された。長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の創設にも尽力した。2015年に公開された映画「母と暮せば」(山田洋次監督)では、主人公のモデルとなった。
参照:
・ 土山秀夫氏が死去 反核活動に貢献、元長崎大学長
・ 元長崎大学長の土山秀夫氏死去 被爆者として核廃絶運動
・ 土山秀夫さん死去=元長崎大学長、平和運動リード

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