[おくやみ]堀内光雄 氏(元衆議院議員、元通商産業大臣、富士急行株式会社 社主)86歳 2016年5月17日逝去

[お偲び] 堀内光雄 氏(元衆議院議員、元通商産業大臣、富士急行株式会社 社主)

堀内光雄(ほりうち・みつお)氏
生誕: 1930年1月1日
命日: 2016年5月17日 16時8分
(東京都内の病院で)
年齢: 86歳
出身: 山梨県東八代郡御坂町
肩書: 元衆議院議員、元通商産業大臣、富士急行株式会社 社主
葬儀: 2016年5月30日
会場: 青山葬儀所
東京都港区南青山2丁目33−20
備考:葬儀は堀内家、自民党、富士急行株式会社の合同葬として施行。
慶応大卒業後、富士急行の社長を経て、1976年に衆院選で旧山梨全県区から初当選、10期務めた。89年に宇野内閣で労働相として初入閣。97年に第2次橋本改造内閣では通産相に就任した。旧石油公団改革に取り組んだ。2000年11月、当時の宏池会会長だった加藤紘一氏による「加藤の乱」を機に派閥が分裂した後、古賀誠元幹事長らと反加藤グループを率いて堀内派(現在の岸田派)を結成。宏池会の第7代会長に就任し、「保守本流」を掲げる派閥の立て直しに努めた。小泉政権下の2001年4月には自民党総務会長を務めた。小泉政権では総務会長退任後、郵政民営化を巡り小泉純一郎首相と対立。05年の郵政民営化法案の衆院本会議採決で反対票を投じた。直後の衆院選では「刺客」を擁立されたが、無所属で出馬し議席を維持した。06年に復党が認められたが、09年衆院選で落選し政界を引退した。富士急行創業者一族のもとに生まれ、半世紀にわたり経営に携わった。2015年、代表権のない取締役社主に退いた。堀内詔子衆院議員(比例南関東)は光雄氏の長男の妻。
お別れの会:
2016年6月15日
ハイランドリゾート ホテル&スパ
参照: ウィキペディア
・ 堀内光雄氏が死去 通産相など歴任、元富士急行社
・ 元通産相の堀内光雄さん死去 自民総務会長など歴任
・ 堀内光雄氏死去、86歳=元通産相、富士急行社主
・ 故堀内光雄氏のお別れの会 元通産相

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