[おくやみ]大林宣彦 氏(映画監督、文化功労者)82歳 2020年4月10日逝去

[お偲び] 大林宣彦 氏(映画監督、文化功労者)

大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)氏
命日: 2020年4月10日 19時23分
(東京都世田谷区の自宅で)
年齢: 82歳
出身: 広島県尾道市
肩書: 映画監督、文化功労者
備考:葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
幼少時から映画に興味を持ち、成城大在学中から自主映画を製作。画家の藤野一友さんと作った16ミリ第1作「喰べた人」が63年、ベルギー国際実験映画祭で特別賞を受けた。大学中退後、米俳優のチャールズ・ブロンソンが「ウーン、マンダム」とつぶやく男性用化粧品のCMや、有名女優のソフィア・ローレンが出演した原動機付き自転車のCMなどが次々にヒットし、「映像の魔術師」の異名をとった。劇場映画デビューは1977年の「HOUSE/ハウス」で劇場映画デビュー。CMディレクターが映画界へ転身する先駆けとなった。82年には故郷の尾道を舞台にした青春映画「転校生」が大ヒット。「時をかける少女」「さびしんぼう」とともに後に「尾道三部作」と呼ばれた。他の主な作品に「ねらわれた学園」などのアイドル映画から、「廃市」「青春デンデケデケデケ」「異人たちとの夏」「漂流教室」などさまざまなジャンルの作品を世に出した。2007年には舞台を尾道から長野に移してリメークした「転校生―さよなら あなた―」を監督。近年も地方を舞台に戦争への思いを込めた「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」を手掛けた。地域の映像文化の浸透や後進の育成にも力をそそぎ、北海道・芦別市の「芦別映画学校」、大分県臼杵市の「風の映画学校」の校長をつとめた。またソフトな語り口でテレビのコメンテーターとしても人気を集めた。04年紫綬褒章、09年旭日小綬章、19年に文化功労者。16年に肺がんが見つかり、闘病しながら「花筐/HANAGATAMI」を撮影。19年には遺作となった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を完成させていた。
参照:
・ 大林宣彦監督が死去 映画「時をかける少女」「転校生」
・ 映画監督の大林宣彦さん死去 時をかける少女・転校生
・ 大林宣彦さん死去 映画監督「転校生」、82歳

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