[おくやみ]大森一樹 氏(映画監督)70歳 2022年11月12日逝去

[お偲び] 大森一樹 氏(映画監督)

大森一樹(おおもり・かずき)氏
命日: 2022年11月12日 11時28分
(兵庫県西宮市内の病院で)
年齢: 70歳
出身: 大阪府大阪市
肩書: 映画監督
備考:葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
10歳で芦屋市に移り住む。芦屋市立精道中学校、六甲高校を経て京都府立医大卒。高校時代から8ミリ映画を撮り始め、京都府立医大の学生の頃から自主映画作家として知られ、自主製作した16ミリ映画「暗くなるまで待てない!」で注目を集めた。1977年、シナリオ「オレンジロード急行」で城戸賞受賞。翌78年、自ら監督し、「オレンジロード急行」で商業デビューを果たす。80年、自身の医学生体験を踏まえた伊藤蘭出演の「ヒポクラテスたち」が出世作となった。80年代は東宝配給の商業映画を数多く監督。「すかんぴんウォーク」に始まる吉川晃司主演3部作、「恋する女たち」からの斉藤由貴主演3部作、さらに「ゴジラVSビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」など平成ゴジラシリーズをヒットに導いた。82年には相米慎二、長谷川和彦ら9人の若手監督とともに企画・制作会社「ディレクターズ・カンパニー」を設立した。他の監督作品にSMAP主演の「シュート!」、山口智子らが出演した群像劇「大失恋。」、中学の先輩である作家村上春樹さんのデビュー作を映画化した「風の歌を聴け」(81年)、日本・べトナム合作の「ベトナムの風に吹かれて」(2015年)、「トットチャンネル」など幅広いジャンルを手掛けた。阪神大震災の復興事業として「明るくなるまでこの恋を」を自主製作した。後進の指導にも熱心で、05年からは大阪芸術大学芸術学部映像学科・同大学院で教授、学科長を務めた。教え子には石井裕也監督らがいる。
参照:
・ 大森一樹さんが死去 映画監督
・ 映画監督の大森一樹さん死去 平成ゴジラシリーズ
・ 映画監督の大森一樹さん死去 「ヒポクラテスたち」やゴジラシリーズなど作品多数 阪神・淡路では自宅被災

追悼の言葉を残す

供花(カラー)