庄山悦彦(しょうやま・えつひこ)氏
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命日:
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2020年6月5日 20時26分 (東京都内の自宅で)
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年齢:
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84歳 |
出身:
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新潟県 |
肩書:
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株式会社日立製作所 元社長、名誉相談役
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備考:葬儀は近親者で施行。
1959年に東工大卒、日立製作所に入社。役員になるまでほぼ一貫して重電畑を歩み、日立工場副工場長や国分工場長を務めた。発電機をつくる技術者の出身で、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)が1985年に運転を始めた核融合臨界プラズマ試験装置「JT60」の建設で中心的な役割を果たした。91年に取締役に就任してからは家電部門を担当。事業再編の旗を振り、95年に販売会社の日立家電を本体に合併した。99年に社長就任。バブル経済崩壊後の長引く景気低迷や韓国・中国メーカーの追い上げなど厳しい事業環境の中、半導体部門の分社化や携帯電話事業で共同出資会社を設立するなど構造改革を進めた。伝統的な重電中心の事業構造からデジタル分野強化へと大きくかじを切り、2003年には約2500億円かけて米IBMのハードディスク駆動装置(HDD)事業を買収した。社長と会長をあわせて10年間務め、この間に連結売上高は約8兆円から約11兆円に拡大した。だが薄型テレビ、ディスプレー、HDDがいずれも不振で、当時の業績低迷の原因となった。06年に古川一夫氏に社長職を譲り、翌年には執行役からも退任して取締役会長に就いた。リーマン・ショック後の09年3月期には国内製造業として当時は過去最大となる7873億円の純損失を計上し、経営責任を取って相談役に退いた。03年から07年まで経団連副会長を務めた。
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お別れの会:
2020年11月19日
ホテルニューオータニ 東京「鶴の間」
主催:株式会社日立製作所
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参照:
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庄山悦彦氏が死去、元日立製作所社長
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日立製作所元社長の庄山悦彦さん死去 新規事業に注力
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庄山悦彦氏死去 日立元社長―84歳
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故庄山悦彦氏のお別れの会 元日立製作所社長
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故庄山悦彦氏のお別れの会(元日立製作所社長)
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