松山樹子(まつやま・みきこ)氏
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命日:
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2021年5月22日 3時40分 (東京都内の自宅で)
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年齢:
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98歳 |
出身:
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鹿児島県 |
肩書:
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松山バレエ団 創立者、名誉芸術監督 |
葬儀:
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2021年6月30日 |
会場:
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梅窓院
東京都港区南青山2丁目26−38
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備考:本名は清水樹子(しみず・みきこ)。
1936年、日劇のクラシックバレエ科1期生に選ばれた。その後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)ピアノ科に入学、東勇作バレエ団ではプリマバレリーナとして活躍した。終戦翌年の46年、評論家の芦原英了さんらが結成したバレエ団の「白鳥の湖」公演に服部智恵子さん、島田廣さんらと参加し、帝国劇場で1カ月間のロングランを記録した。48年、夫の故清水正夫氏とともに松山バレエ団、松山バレエ学校を創立。振付師、芸術監督を務め、日本バレエ界の草分けとして活躍した。古典バレエに加え、現代の人間の生き方を投影する創作バレエに力を入れ、55年に中国の民話に基づく革命歌劇「白毛女(はくもうじょ)」をバレエ化。58年には周恩来氏の招きで中国公演を果たした。「赤い陣羽織」「高野聖」「バフチサライの泉」など、文学や民俗舞踊の要素をとりこんだバレエを多数発表した。義理の娘でもある世界的なバレエダンサーの森下洋子さんらを育て、ローザンヌ国際バレエコンクールなど国内外のコンクールの審査員も務めた。78年以降は芸術監督として団を支えた。85年に紫綬褒章、94年に勲四等宝冠章を受章。
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参照:
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松山樹子さんが死去 松山バレエ団創立者
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日本バレリーナの草分け松山樹子さん死去 松山バレエ団
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松山樹子さん死去 松山バレエ団創立者、98歳
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