[おくやみ]松田昌士 氏(東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)元社長)84歳 2020年5月19日逝去

[お偲び] 松田昌士 氏(東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)元社長)

松田昌士(まつだ・まさたけ)氏
命日: 2020年5月19日 13時58分
(東京都内の病院で)
年齢: 84歳
出身: 北海道
肩書: 東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)元社長
備考:葬儀は近親者で施行。
1961年北大大学院を修了後、日本国有鉄道(国鉄)入社。企画部門を中心に歩み、多額の長期債務で経営が行き詰まった国鉄の再建を担った。旧国鉄時代は、井手正敬氏(JR西日本元社長)や葛西敬之氏(JR東海名誉会長)とともに「国鉄改革3人組」「三羽がらす」と呼ばれ、経営難から脱するために国鉄を分割・民営化すべきだと主張し、国鉄の分割・民営化の立役者の一人となった。87年4月に国鉄分割・民営化で発足したJR東日本の常務に就任した。93年に社長に昇格し、経営の効率化や省人化を進めた。主要駅を中核とする再開発や流通業の展開をし、ホテルや商業施設など非鉄道事業を強化してJR東日本の経営基盤を安定させた。また、IC乗車券「Suica(スイカ)」導入に先鞭をつけた。2000年会長に就任し、政府が保有株を手放す完全民営化に道筋をつけ、02年に実現した。相談役を経て11年顧問。経営改革の手腕が評価され、小泉内閣による日本道路公団(当時)などの民営化のあり方を検討する第三者機関「道路関係四公団民営化推進委員会」の委員も務めた。委員として新規の高速道路建設に厳しく歯止めをかける改革案を主張した。2005年2月には日本野球連盟会長として社会人野球の発展にも貢献した。北京五輪では、野球日本代表「星野ジャパン」の支援などに力を注いだ。
お別れの会:
2020年12月11日
ホテルニューオータニ「鶴の間」
主催:東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)
参照:
・ 松田昌士氏が死去 JR東日本元社長
・ JR東日本元社長・松田昌士さん死去 国鉄民営化を推進
・ JR東日本元社長の松田昌士氏死去 国鉄改革3人組―84歳
・ 故松田昌士氏(元JR東日本社長)のお別れの会
・ 故松田昌士・元JR東日本社長のお別れの会

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