[おくやみ]橋本忍 氏(脚本家)100歳 2018年7月19日逝去

[お偲び] 橋本忍 氏(脚本家)

橋本忍(はしもと・しのぶ)氏
命日: 2018年7月19日 9時26分
(東京都世田谷区の自宅で)
年齢: 100歳
出身: 兵庫県
肩書: 脚本家
備考:葬儀は近親者で施行。
結核療養中の傷痍軍人岡山療養所で脚本家を志し、会社勤めをしながら監督・脚本家の伊丹万作に師事。黒沢監督の目にとまり、1950年、芥川龍之介の小説を脚色した「羅生門」で脚本家デビュー。この作品がベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を取り、注目を集めた。黒澤監督の脚本チームの一員となり、「生きる」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」など計8本の黒澤作品に参加した。骨太のエンターテインメントを得意とし、「張込み」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「ゼロの焦点」など松本清張の社会派推理小説の脚色は十八番だった。映画製作会社の橋本プロダクションを設立し、製作者としての第1作は清張の長編を自ら脚色した「砂の器」(74年、野村芳太郎監督)に。続く第2作「八甲田山」(77年、森谷司郎監督)とともに、当時の大作ブームの流れに乗って大ヒットを記録した。テレビでも、戦時下の庶民の苦しみを描いたドラマ「私は貝になりたい」の脚本を手がけ、芸術祭賞を受賞。後に自身の脚本・監督で映画化もされた。他の脚本の代表作に、63年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得した小林正樹監督の「切腹」、山本薩夫監督の「白い巨塔」、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」、森谷監督の「日本沈没」、「真昼の暗黒」や「八つ墓村」など。論理的、倫理的に精緻なシナリオの構築力で脚本家という職業を一般にも認知させた。また、著書に黒澤監督との仕事を中心につづった自伝「複眼の映像 私と黒澤明」がある。元日本シナリオ作家協会理事長。
参照:
・ 橋本忍さんが死去 脚本家、黒沢監督の「羅生門」など
・ 脚本家の橋本忍さん死去 「七人の侍」黒澤8作品に参加
・ 橋本忍氏死去 脚本家

追悼の言葉を残す

供花(カラー)