永六輔(えい・ろくすけ)氏
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生誕:
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1933年4月10日 |
命日:
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2016年7月7日 (東京都の自宅で)
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年齢:
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83歳 |
出身:
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東京都 |
肩書:
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放送作家、タレント、作詞家 |
備考:本名は永孝雄(えい・たかお)。葬儀は近親者で施行。
東京・浅草の寺の息子として生まれた。中学生のころからNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始める。早稲田大在学中に同番組を手がけていた作詞・作曲家の三木鶏郎氏の「冗談工房」に入り、放送界デビュー。NHKの人気番組「夢であいましょう」の台本を担当するなど放送作家として活躍。ラジオ番組にも自ら司会者として出演するなど視聴者らの高い支持を得た。作詞家としても高い才能を発揮。特に作曲家の中村八大さんとのコンビは有名で、米国でも「スキヤキソング」として全米チャート1位となり大ヒットした坂本九さんの「上を向いて歩こう」や、梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」、水原弘さんの「黒い花びら」など、数多くの名曲を世に送り出した。作詞した曲はほかに、作曲家いずみたくと組んだ「いい湯だな」「見上げてごらん夜の星を」、中村と組んだ「黄昏のビギン」「遠くへ行きたい」などがある。60年代半ばからは軸足をラジオの世界に移した。67年から2013年9月まで46年間続いたTBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」は放送回数が1万2629回に達し、同一人物が出演する同局の番組としては最長寿となった。同局の「永六輔その新世界」も91年から15年9月まで続いた。好きな旅で得た話から時事問題まで縦横無尽に語った。エッセイスト・作家としても知られ、94年には老いや死を巡る言葉を集めたエッセー「大往生」が200万部を超えるベストセラーになった。その他に「職人」「親と子」「芸人」などの著書がある。2000年には菊池寛賞を、14年には毎日芸術賞特別賞を受賞した。02年1月に妻昌子さんを2人の娘と共に自宅でみとり、愛する人を失った思いを「妻の大往生」などにつづった。60年安保反対闘争に参加し、尺貫法の復活を唱え、市民運動家としても知られた。
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六輔 永(なが)のお別れ会:
2016年8月30日
青山葬儀所
発起人代表:黒柳徹子 さん
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参照:
ウィキペディア
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永六輔さん死去 「上を向いて歩こう」作詞、83歳
・
永六輔さん83歳=放送作家、ラジオタレント
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永六輔さん死去=放送、音楽界で多才に活躍、83歳
・
故永六輔さんのお別れ会(放送作家・タレント)
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永六輔さんは、何でも知っていて、何でも分かっている、人間国宝みたいな人だなぁ と思っていました。
増田 達夫