[おくやみ]海部俊樹 氏(元内閣総理大臣)91歳 2022年1月9日逝去

[お偲び] 海部俊樹 氏(元内閣総理大臣)

海部俊樹(かいふ・としき)氏
命日: 2022年1月9日 4時
(東京都内の病院で)
年齢: 91歳
出身: 愛知県名古屋市
肩書: 元内閣総理大臣
備考:葬儀は近親者で施行。
1960年の衆院選に旧愛知3区から自民党公認で出馬し、29歳で初当選。連続16回当選した。初当選時から三木派・河本派と弱小派閥に属したが、故・竹下登元首相らとも気脈を通じた。故三木武夫元首相の「秘蔵っ子」として知られ、74年の三木内閣で官房副長官に起用され、頭角を現した。福田、中曽根両内閣で2度にわたって文相を務めるなど、文教行政にも取り組んだ。宇野宗佑政権が89年夏の参院選でリクルート事件や女性スキャンダルなどへの世論の反発から敗北した後、旧竹下派の支持を得て第76代首相に就任した。首相在任中、リクルート事件の反省から「対話と改革の政治」を掲げた。衆院に小選挙区比例代表並立制を導入するための政治改革関連法案の成立を目指した。しかし、与野党に慎重論が強く廃案の公算が強まった際、「重大な決意で事態の打開に当たる」と語り、解散・総選挙を辞さない姿勢を示した。しかし、理解を得られず、再選を目指した91年秋の自民党総裁選には旧竹下派の主導で立候補の断念に追い込まれ、11月に首相を辞任した。91年の湾岸戦争では自衛隊の派遣に慎重な姿勢をとる一方、米国を中心とする多国籍軍に130億ドルの資金提供を決め、海上自衛隊掃海艇をペルシャ湾に派遣した。日米構造協議でブッシュ大統領との調整にあたったほか、北方領土問題をめぐってゴルバチョフ大統領と会談を重ねた。昭和生まれ最初の首相という若さに、金銭に絡むスキャンダルがなかったことが加わり、歴代政権の中でも比較的高い支持率を維持した。水玉模様のネクタイがトレードマークだった。94年に自民党を離党し、新生党や公明党などの連立与党の候補として、自民、社会、新党さきがけが推す村山富市氏と争い、敗北。その後、新進党の初代党首や保守党の最高顧問などを務め、保守新党が自民党に合流した2003年11月に自民党に復党。09年衆院選で落選し、政界を引退した。11年に桐花大綬章を受章した。早大在学中は雄弁会に所属。巧みな弁舌で「海部の前に海部なし、海部の後に海部なし」と評された。
参照:
・ 海部俊樹元首相が死去 91歳 湾岸戦争時に首相、政治改革に意欲
・ 海部元首相が死去、91歳 政治改革に取り組む

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