備考:葬儀は熊木家と東村山市の合同葬として施行。葬儀委員長は渡部尚(わたなべ・たかし)東村山市長。
昭和42年東村山市長に当選し、4期16年務めた。 「人と自然が調和し、豊かさと心ふれあうやすらぎのまちづくり」を基本理念とし、都市基盤、生活環境の整備をはじめ福祉の充実と健康の増進、教育文化の向上等、積極的に取り組み推進した。任期中には、福祉施策では昭和46年全国に先がけて開始した「東村山方式」と呼ばれるねたきり老人訪問看護システムは多くの自治体の注目を集めた。市民のスポーツ振興策では運動公園の整備や市民スポーツセンターを建設し、スポーツを通じて市民相互の連帯を強めるよう尽力した。昭和49年全国で3番目の「スポーツ都市」を宣言、市民ぐるみのスポーツ愛好により、健康の増進と体力の向上を図った。また、全国市長会では経済建設分科会委員長等を歴任、地方自治の確立のために尽力した。昭和53年から2年間は東京都市長会会長として多摩地区の地方自治体の諸課題に取り組み、取りまとめた。市長退任後は、平成13年まで東村山市国際友好協会会長として国際交流に尽力、東村山明るい社会をつくる会会長、青少年対策地区連絡協議会等の支援、東村山市体育協会名誉会長、緑を守る会市民協議会顧問、“トトロの家を東村山へ”市民の会会長として幅広く活躍してきた。
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