[おくやみ]稲盛和夫 氏(京セラ株式会社 創業者・名誉会長)90歳 2022年8月24日逝去

[お偲び] 稲盛和夫 氏(京セラ株式会社 創業者・名誉会長)

稲盛和夫(いなもり・かずお)氏
命日: 2022年8月24日 8時25分
(京都府京都市の自宅で)
年齢: 90歳
出身: 鹿児島県鹿児島市
肩書: 京セラ株式会社 創業者・名誉会長
備考:葬儀は近親者で施行。お別れの会は、11月28日13時から国立京都国際会館イベントホール(京都府京都市左京区岩倉大鷺町422)で、12月6日13時から帝国ホテル東京本館2階「孔雀の間」(東京都千代田区内幸町1−1−1)で。
1955年に鹿児島大学工学部卒業後、京都の碍子(がいし)メーカーに就職した。59年に独立して、京都セラミック(現京セラ)を設立、66年に社長に就任した。70年ごろ、半導体の回路を保護する入れ物にあたるパッケージの開発量産に成功した。以来、主力のファインセラミックス部品から電子部品、太陽電池、携帯電話などの分野に事業を広げ、グローバル化も進めた。創業時、28人だった従業員は、グループで8万3千人、世界30以上の国や地域に広がる。小集団単位で厳格に収益管理する「アメーバ経営」と、積極的なM&A(合併・買収)を原動力に、世界企業に育て上げた。80年代に電気通信事業の自由化の論議が高まったとき、当時の電電公社による「独占はよくない」との思いから、84年に第二電電企画(後のDDI)を設立した。通信事業は畑違いだったが、毎晩「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答して参入を決めたという。2000年にはDDI、KDD、日本移動通信(IDO)を合併に導き、今のKDDIを設立した。国内の長距離電話の料金引き下げを主導したほか、携帯電話の普及にも尽くした。01年より最高顧問を務めた。2005年に京セラの取締役を退任し、経営の第一線から退いた。その後、経営塾「盛和塾」と、文化や技術の発展に貢献した人を顕彰する「稲盛財団」の活動に軸足を移した。「日本をよくするには政権交代が可能な国にすることが必要」との思いで野党時代から民主党を支援。民主党が与党となった09年に行政刷新会議の議員に就任、10年からは日本航空の会長を務め、再建に奔走した。内閣特別顧問も務めた。著書は「アメーバ経営」「人を生かす」など多数。1984年紫綬褒章、97年に得度。
お別れの会:
2022年11月28日
国立京都国際会館イベントホール
主催:京セラ株式会社、KDDI株式会社、日本航空株式会社、稲盛財団
参照:
・ 京セラ創業者の稲盛和夫名誉会長が死去 90歳
・ 京セラ創業者の稲盛和夫さん死去、90歳 JALの経営再建にも貢献
・ 稲盛和夫氏死去、90歳 京セラ創業、日航再建に尽力
・ 故稲盛和夫氏(京セラ創業者)のお別れの会
・ 故稲盛和夫氏のお別れの会(京セラ創業者、8月24日死去)

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