[おくやみ]竹本源大夫 氏(人形浄瑠璃文楽大夫、人間国宝)83歳 2015年7月20日逝去

[お偲び] 竹本源大夫 氏(人形浄瑠璃文楽大夫、人間国宝)

竹本源大夫(たけもと・げんだゆう)氏
生誕: 1932年2月14日
命日: 2015年7月20日 8時17分
(大阪府大阪市の病院で)
年齢: 83歳
出身: 大阪府大阪市
肩書: 人形浄瑠璃文楽大夫、人間国宝
葬儀: 2015年7月22日
会場: 大阪市立やすらぎ天空館
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋4丁目19−115
備考:本名は尾崎忠男(おざき・ただお)。
1946年、14歳で四代目竹本織大夫(後の八世綱大夫)に入門。織の大夫を名乗って四ツ橋文楽座の「野崎村」のツレで初舞台を踏んだ。63年に五代目織大夫を襲名。94年、太夫の最高位「切場語り」になった。96年に九代目綱大夫を襲名した。「信州川中島合戦」の「輝虎配膳」や「冥途の飛脚」の「封印切」など近松門左衛門の作品を得意とした。07年に人間国宝に認定された。11年に九代目源大夫を襲名。襲名公演直前に心臓手術を受け、口上だけに出演した。13年5月の東京・国立劇場での「曽根崎心中」以降は体調を崩して舞台出演がなく、14年7月に「気力体力の衰え」を理由に引退を表明した。長年の功績により、同年度国立劇場文楽賞の特別賞を受賞した。時代物、世話物の幅広い演目で風格ある正統な芸を磨き、原本や文献の研究にも力を入れた。「封印切」など近松門左衛門の作品を得意とした。祖父は七世竹本源大夫、父は三味線の初代鶴澤藤蔵、長男は2代目鶴澤藤蔵と、世襲制をとらない文楽界では珍しい「4代続く文楽一家」としても知られた。同じく人間国宝の竹本住大夫さんは義兄にあたる。著書に「織大夫夜話」がある。
参照: ウィキペディア
・ 竹本源大夫さん死去 文楽太夫の人間国宝、83歳
・ 文楽太夫の人間国宝、竹本源大夫さん死去
・ 訃報:竹本源大夫さん 83歳=人形浄瑠璃文楽、人間国宝

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