[おくやみ]緒方貞子 氏(元国連難民高等弁務官)92歳 2019年10月22日逝去

[お偲び] 緒方貞子 氏(元国連難民高等弁務官)

緒方貞子(おがた・さだこ)氏
命日: 2019年10月22日
年齢: 92歳
出身: 東京都
肩書: 元国連難民高等弁務官
葬儀: 2019年10月29日
備考:葬儀は近親者で施行。後日、お別れの会を開く。
曽祖父が犬養毅首相で父と祖父が外交官という家庭に育ち、幼少期を米国や中国などで過ごした。聖心女子大学を卒業後、米国に留学。ジョージタウン大学で修士号、カリフォルニア大学バークリー校で63年に政治学博士号を取得。国際基督教大准教授や上智大教授などを歴任。日本での模擬国連活動の創始者でもある。市川房枝参院議員の誘いで、国連総会の日本政府代表団に参加したのを機に国連での仕事に関わるようになり、76年に日本初の女性国連公使となった。国連人権委員会(2006年人権理事会に改組)日本代表なども務めた。91年1月に日本女性初の国連難民高等弁務官に就任。冷戦終了直後で宗教や民族間の対立が激化する局面で、難民支援機関トップとなり、3期10年務めた。在任中は世界の紛争地に足を運び、イラク北部のクルド人難民や旧ユーゴスラビア連邦内戦によるサラエボの難民、アフリカのルワンダ難民の保護などに尽力した。クルド人支援では、家を追われてトルコとの国境周辺にとどまる大勢の人々の支援を決断。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はそれまで国を逃れた難民を支援対象としていたが、国家によって生命と安全を保障されない国内避難民の支援にも踏み出し、転機となった。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やルワンダ虐殺で発生した難民の支援にも当たった。また、国家中心の安全保障に代わる概念として、紛争や貧困など、あらゆる脅威から人々の生存や尊厳を守る「人間の安全保障」の重要性を提起。2012年の国連総会では「人間の安全保障」を重視する決議が全会一致で採択された。01年からはアフガニスタン支援日本政府特別代表を務め、03年10月にはそれまで外務省出身者がトップに就いていたJICAの理事長に就任。高等弁務官時代に感じた人道支援と復興支援とのギャップを踏まえ、復興支援の迅速化に力を注いだ。「現場主義」を浸透させ、海外事務所を増やすなどの改革やアフリカ諸国への援助増を推進した。活躍は世界的に評価され、「ユネスコ平和賞」や「マグサイサイ賞」などを受賞した。03年に国際貢献が評価され、文化勲章を受章した。
参照:
・ 緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳
・ 緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳
・ 緒方貞子さん死去=元国連難民弁務官、92歳-「人間の安全保障」訴え

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