[お偲び] 伊藤八十八 氏(ジャズプロデューサー) |
伊藤八十八(いとう・やそはち)氏 | |
命日: |
2014年11月19日 2時40分 (東京都三鷹市の自宅で) |
年齢: | 68歳 |
出身: | 岐阜県 |
肩書: | ジャズプロデューサー |
葬儀: | 2014年11月25日 |
会場: |
代々幡斎場
東京都渋谷区西原2丁目42−1 |
備考:早稲田大学在学中、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブに在籍、その頃からJAZZに傾倒する。大学卒業後、入社した日本フォノグラム(現ユニバーサルミュージック)にて洋楽ポピュラー編成部に8年間所属し、ポール・モーリア、ニュー・シーカーズ、スコット・ウォーカーなどのポピュラー・アーティストを担当。また、イースト・ウィンド・レーベルを設立し、ザ・グレート・ジャズ・トリオ、渡辺貞夫、日野晧正らのプロデュースを手掛ける他、ジョー・サンプルなどのアルバム「ザ・スリー」では、ダイレクト・カッティングを行うなど、オーディオ・ファイルな作品を多数世に送り出す。1978年にCBS/SONY(現ソニーミュージック)へ入社。当初は洋楽企画制作部に所属し、マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポートといったJAZZ系のアーティスト、一方ではザ・スクエア、マリーン、笠井紀美子等、国内のJAZZ/FUSION系アーティストのプロデュースを担当する。その後、邦楽制作部門へ移り、久保田利伸、大滝詠一、松田聖子を始め数多くのJ-POPアーティスト達の制作部門を担当する。95年に洋楽部門に復帰し、レガシー&ジャズとアジア・マーケティング部を担当。コンピレーション・アルバムMAXシリーズの企画に携わる一方、ケイコ・リー、TOKU等を育成。また、Puffyやラルク・アンシエルといった国内アーティストのアジア戦略を計画推進する。なお、99年より録音グループ本部長を兼務し、次世代のSACD(スーパー・オーディオCD)の開発やSMEの新スタジオ(乃木坂)設計、管理に携わる。アルバム・プロデュース作品は、国内外を合わせ約350点。洋楽編成時代に担当した作品は約 3,000点を超える。また、独自のレーベル「エイティ・エイツ」で海外の演奏家の作品制作にも力を注いだ。早稲田大学の仲間だったタモリのアルバムもプロデュースした。 | |
参照:
・ ジャズプロデューサー、伊藤八十八さん死去 ・ 伊藤 八十八 氏スペシャル・インタビュー ・ 伊藤八十八氏死去 渡辺貞夫や日野皓正らプロデュース |