[おくやみ]坂井宏先 氏(ポプラ社元代表取締役社長)68歳 2014年4月18日逝去

[お偲び] 坂井宏先 氏(ポプラ社元代表取締役社長)

坂井宏先(さかい・ひろゆき)氏
命日: 2014年4月18日
年齢: 68歳
出身: 愛知県新城市
肩書: ポプラ社元代表取締役社長
備考:葬儀は近親者で施行。
家具屋の家庭に生まれる。本来は小説家志望で、早稲田大学教育学部卒業後に女子美術大学付属高等学校で1年間教鞭を執りつつ小説を書いたが、作家の道を断念し、1972年、ポプラ社に中途入社。初めは倉庫に配属され、砂埃の舞う劣悪な環境に憤りを感じて「オレが社長になって、この会社を変えてやる」と宣言。1974年、「同族会社の悲劇」と題する意見書を経営陣に提出し、同族経営だったポプラ社の体質を批判したために当時の社長から解雇されそうになった。また、労働組合のない同社で「社員の会」を結成し、労使交渉に乗り出して「代表取締役ヒラ社員」と呼ばれた。編集者としては那須正幹の『ズッコケ三人組』シリーズを第1作『それいけズッコケ三人組』(1978年)から全作手がけた他、原ゆたかの人気シリーズ『かいけつゾロリ』も担当。1983年には発注先の印刷会社の再編に乗り出し、その年度で9200万円、次年度で2億円の経費削減に成功。1987年、初めて管理職(課長代理)になる。編集部長から専務取締役を経て、1998年に代表取締役社長就任。2000年には一般向け書籍の編集部を設立し、翻訳物の自己啓発小説『Good Luck』で160万部の売り上げを記録。また2002年には児童向け総合百科事典『総合百科事典ポプラディア』全12巻を企画し、社員からの猛反対にもかかわらず2010年までに6万セット以上の売り上げを達成した。中国進出にも野心的であった。2013年11月25日、社長職を退任し、非常勤顧問に就任した。
『それいけズッコケ三人組』は本来『ずっこけ三銃士』という題名だったが、それを古臭いと感じて現行の題名に改めたのは坂井だった。著者の那須正幹に無断で改題して刊行し、那須を驚かせた。ズッコケシリーズの後書きで「8ヶ月に1冊書きます」と書いた那須の文章を「6ヶ月に1冊」として活字化し、「もう本になってしまってますし、今から変更するのもおかしいし、あれで読者は6ヵ月後と思ってます。このままでいきましょう!」と強引に押し切って1年2冊のペースに持って行かせたのも坂井だった。
参照: ウィキペディア
・ ポプラ社の前社長、坂井宏先さん死去
・ ポプラ社前社長の坂井宏先さん死去
・ 坂井宏先の名言 厳選集 - 名言DB

4つの追悼の言葉があります

  1. 我が家の三人はショックで言葉もありません。二人の子供が夢を果たせたのも、野村氏と坂井宏先氏との出会いがあったからこそっです。「恩返しがしたい」と思いながらパソコンに向かって日々原稿を書いていました。もう読んでもらえる事もないのですね。色々な中傷記事には心が痛みます。私達親子に取っては「おやじ」的存在の人でした。出版祝いをして下さり、息子に大きな花束を下さったり色々気配りして下さったやさしさが今も心に残っています。あの小さな社屋でお会いしたアクティブで厳しさとやさしさを合わせ持ったお姿が忘れられません。ご冥福を心よりお祈りいたします。


    井上 朝子
    供花(カラー)
  2. 色々とお世話になりました。
    強い信念を持った方でした。
    本当に心から悲しく思います。
    ありがとうございました。


    匿名
    供花(カラー)

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