[おくやみ]本島等 氏(元長崎市長)92歳 2014年10月31日逝去

[お偲び] 本島等 氏(元長崎市長)

本島等(もとしま・ひとし)氏
生誕: 1922年2月20日
命日: 2014年10月31日 17時27分
(長崎県長崎市のホスピスで)
年齢: 92歳
出身: 長崎県・五島列島の北魚目村
肩書: 元長崎市長
備考:葬儀は近親者のみで執り行われる。
旧制高校在学中に徴兵され、陸軍の西部軍管区教育隊(現・熊本県合志市)で終戦を迎えた。戦後は京大工学部を卒業後、高校教師、衆院議員秘書や県議5期、自民党県連幹事長などを経て、79年4月に長崎市長に初当選し95年まで連続4期務めた。天皇の戦争責任を巡る発言は3期目の88年12月7日。市議会の答弁で、自身の1年4カ月間の軍隊体験なども踏まえ「天皇の戦争責任はあると私は思います」と述べた。議会後の記者会見でも「戦争終結を早く決断していれば沖縄、広島、長崎はなかったと思う」と語った。当時は昭和天皇が重病だったこともあり、発言には賛同、批判両方の立場から議論が起きた。撤回の要求に本島さんは「天皇についての自由な発言ができずして、日本の民主主義の発展は期待できない」などと自身の立場を貫いた。90年1月18日、発言に反発した右翼団体幹部に長崎市役所前で銃撃され、左胸貫通の重傷を負ったが、命をとりとめた。5選を目指した市長選(95年)で落選後も、表現の自由や原爆投下などについて発言を続けた。長崎市の平和公園にある中国人原爆犠牲者追悼碑の設置・維持や、反核・平和を訴えようと市民団体が平和公園で1月1日に行う「正月座り込み」にも今年1月まで参加するなど、平和への活動に晩年まで取り組んだ。
参照: ウィキペディア
・ 本島等元長崎市長が死去 右翼に銃撃され重傷も
・ 本島等・元長崎市長が死去 天皇戦争責任答弁・銃撃事件
・ 本島等元長崎市長死去=天皇の戦争責任言及し銃撃

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