[おくやみ]楳内典明 氏(洋野町立中野小学校 校長)53歳 2014年10月29日逝去

[お偲び] 楳内典明 氏(洋野町立中野小学校 校長)

楳内典明(うめない・のりあき)氏
命日: 2014年10月29日 23時53分
(岩手県久慈市の病院で)
年齢: 53歳
出身: 岩手県九戸郡洋野町種市
肩書: 洋野町立中野小学校 校長
葬儀: 2014年11月3日
会場: メモリアルホールもりおか長安殿
岩手県盛岡市愛宕町7−8
参照:
・ 2014年11月 - 岩手日報

追悼の言葉があります

  1. 楳内先生へ

    お久しぶりです。先生
    憶えてますでしょうか?私は今から20年前に附属小学校でお世話になった根岸です。1年経って転校してしまったので、まぁ憶えてないかもしれませんね。
    あぁでも、親友の小松原は憶えてます?彼とよく一緒にいたやつです。
    あの時は私も小学3年生でしたし、私の中の楳内先生は未だに黒髪のショートヘアで、ちょっと天然パーマが入っています。背が高く、ガタイもよく、とても怖くて。。。
    だけどとても正義感が強い憧れの先生でした。

    校長先生になられたと耳にしたのですが、本当ですか?
    数年前に入院したと聞いた時、教育委員会の偉い方になったとも聞いたので、今のモンスターペアレントがはびこる腐った世界を正しているのだと思っておりました。

    私の中で忘れられない思い出が二つあるんです。
    本当はあった時に話そうと思っていましたが、私も仕事始めたことで忙しくって…
    だからここに書いちゃいますね。

    一つは、いじめっ子に水をぶっかけられた時。
    と言っても、蛇口に手を塞いでかけるやつです。あれやられて泣いてたじゃないですか。
    あそこで先生が来た時、私の代わりに怒ってくださると思ってたんです。
    でも、「悔しいか?それならやり返せ!お前もこいつに同じことをやり返せ」って、
    山本だか荒巻だか忘れちゃったけど、あいつの髪掴んでそう教えてくれたんですよ。
    子供より強い人間の力を利用してきた私にとって、あの言葉は衝撃的でした。
    おかげで「やったらやり返す」って考えが染み付いて妙にせこくなったし、
    テストでハンムラビ法典の説明を書けっていう問題はそれ書いて△になったんですよ。

    …でも、あの一件があったから、私は人に全てを委ねる考えから、いざという時は自分が動けるようにしようって考えがついたんだと思います。
    やられたらやり返すことは、必ずしもいいことではないけど、それでも自分を強くすることができた、腑抜けにならずに済んだ、そんな教えでした。

    二つめは、先生の授業です。
    正直、どんな教え方だったか、理科の授業の仕方なんて全く覚えてなのですが、
    先生の授業で電池を分解したことだけは覚えてるんです。
    単一電池かな。ペンチで潰して、中の黒い粉だして、炭素棒取り出して。

    こんな単純なものがラジコンを動かしてたんだって感動して、あの思い出が自分を電池の道に進ませたんです。
    まぁ今やってることは電池ではないのですけどね。
    でも、大学では同じことしましたよ?電池の分解。
    …リチウムイオン電池で(笑)火花散って驚きましたよ。
    そこから、電気の道に進むことになりました。
    化学科だったんですけどね。
    あ、ひょっとしたら覚えてないだけで化学進んだ原点は先生だったのかもしれませんね。

    本当、心から感謝してるんです。ずっと、会いたいなって思っていたんです。

    先日、その小松原家に行ったんです。
    慈人と会う予定で来たのにあいつ来なかったですけどね!!
    …まぁそれはいいや。

    その時、教えてもらいました。
    今の私は、先生にあいに行く資格がないんですね…。
    もっと人間が出来上がってから、あいにいこうと思います。

    小松原母にも、先生を思うなら今を必死になって頑張りなって言われました。

    まだまだ努力足りないし、未熟だなって思うから。
    だから、小松原家を通じて先生とあえて良かったです。
    夢とかであわなかったと言うのは、そういうことですよね。
    今を必死に生きろと、そう教えてくれたのですね。

    ありがとうございます。
    あなたのように心の芯を強く持ち、堂々と生きて
    多くの人の見本になれるよう、日々精進します。


    根岸 輝
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